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旭川地方裁判所 昭和27年(ワ)559号 判決 1956年4月06日

原告 吉野谷久蔵

被告 朝倉富次

主文

被告は原告に対し金四十万七千六百九十三円六十銭を支払え。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用は五分しその二を原告の、その三を被告の負担とする。

この判決は、原告において金十万円の担保を供するときは、仮りに執行することができる。

事実

第一、当事者双方の申立。

原告は、「被告は原告に対し金百四十二万九千百九十二円を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決並に担保を条件とする仮執行の宣言を求め、被告は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。

第二、原告の陳述の要旨

一、原告は総屯数八六屯〇二なる機附帆船第二長運丸(以下長運丸という)の所有者であるが、原告の積荷運送のため同船に乙種二等航海士吉野谷正徳が船長として乗込み、塩二百三十二俵、重油三千リツトル、マシン油二百リツトル及び空箱六百個等を積載の上昭和二十七年四月十日夜新潟県新潟港を発し北海道留萌港に向つて直航した。同月十三日午前一時五十五分頃吉野谷船長は船橋で行船に従い、甲板長小刀根信夫が操舵しながら、折柄の霧中を機関による時速約八海里の航力で航走中、少し冲出しするため北々東に転針したが同一時五十九分三十秒頃突然正船首前方約百米に被告所有機附帆船第十八南進丸(総屯数七六屯。以下南進丸という)のぼんやりした白燈一個を認めた。よつて同船との衝突を廻避するため直ちに左舵一杯と機関停止の措置を取つたが、その効なく、同二時北海道積丹郡余別村神威岬燈台を離る南四十四度西約九海里の地点で長運丸の右舷船首が南進丸の船首から約七米の左舷側外板に後方より約四点の角度で衝突した。その結果長運丸は錨鎖庫附近の右舷側外板がゆるみ、同外板と船首材との固着部が水線附近で約六十糎の間開口し、右両所から侵水したので已むなく積荷全部を海中に投棄し南進丸に救助洩航されたが、遂に同三時岩内港に向う途中沈没した。

二、一方南進丸は、丙種航海士遠藤松治が船長として乗船し、生鰊を積載、同月十二日未明北海道鴛泊港を青森県青森港に向つて発航した。翌十三日午前零時四十分頃前記神威岬を通過したものと推定し、針路を南西微南に定め時速約六、六海里の航力で航走中、同一時五十八分三十秒頃突然左舷約三百米の地点に長運丸の白燈一個を発見した。よつて同船を避航するため船首を徐々に右転しながら進行しているうち、同一時五十九分三十秒頃約西南西に向首したとき、左舷船首約四点半の至近距離に長運丸の緑燈を認め直ちに右舵一杯と全速力後退の措置を取つたがその方位に殆んど変化なく、急速に接近し船首が西方に向いたとき、前記のとおり衝突したのである。

三、ところで右衝突は、(イ)当時海上は降霧のため展望が妨げられていたから、両船長は何れも海上衝突予防法第十五条所定の霧中信号を鳴らしながら運航すべきものを、両船共信号器の故障は修理しないままに発航したので、これを鳴らしていなかつたこと。(ロ)霧中の際は同法第十六条の規定に従い適度の速力で航行すべきものを前記のように長運丸は時速約八海里、南進丸は同約六・六海里という不適当な速度で航行したこと。(ハ)両船共前路の見張りが不充分であつたこと等に基くもので、結局長運丸、南進丸各船長の船舶運航に関する注意義務のかいたいによつて発生したものである。しかし右両船長の過失は軽重の程度を判定することができないから、衝突による損害は各船舶の所有者たる原、被告において平等に負担すべきものといわなければならない。

四、原告は本件衝突によつて、(イ)長運丸の喪失による価格金二百五十八万円。(ロ)侵水を免れるため海中に抛棄した塩二百三十二俵(一俵四十瓩入)の価格金十六万二千八百六十四円、重油三千リツトルの価格金五万三千百円、マシン油二百リツトルの価格金九千六百二十円、空箱六百個の価格金三万千八百円。(ハ)沈没した長運丸の捜索費用金二万千円の右(イ)、(ロ)、(ハ)合計金二百八十五万八千三百八十四円の損害を蒙つた。

よつて原告は被告に対し右損害額の二分の一である金百四十二万九千百九十二円の支払を求める。

五、被告が損害を受けたとの点については、南進丸に生鰊一万六千八百五十貫を積載していたこと並に本件衝突により同船左舷舷墻に損傷を受けたことは認めるが、その余は否認する。仮りに生鰊の鮮度が低下し損害を受けたとしても、南進丸は船舶修理の目的でなく、時化を待避するため岩内港に碇泊した結果、鮮度が低下したのであるから、不可抗力による損害として被告が負担すべき性質のものである。

第三、被告の答弁及び抗弁

一、原告の陳述する前記第一項中、長運丸の積荷と航路関係、衝突による同船の損傷程度と積載荷物を海中に抛棄したことは不知、その余は認める。同第二項は認める。同第三項中当時海上は降霧のため展望が妨げられていたことは認めるが、衝突の原因が両者の過失によるものであり、その過失の軽重を知ることができないとの原告の主張は否認する。同第四項は争う。

二、本件衝突は、長運丸吉野谷船長の一方的過失によつて発生したもので、南進丸遠藤船長には過失がない。すなわち、南進丸の信号器は出航当時完全であつたが、本件衝突直前に故障を生じたものである。又同船の速力は通常七海里半から八海里であるが、当時は霧中の航行を考慮して六・六海里に減速していたから、不適度とは言えないし、勿論前路の見張りに落度がない。遠藤船長は当日午前一時五十八分三十秒頃左舷船首より約一点、約三百米の地点に長運丸の白燈を発見したから、此の場合南進丸と長運丸との関係は、海上衝突予防法第十九条によつて、前者が権利船、後者が義務船の地位に立ち、後者が前者の航路を避くべきであつたのである。つまり南進丸はそのときの針路を維持しても責められる筋合がなかつた筈である。しかし、遠藤船長は大事を取り、長運丸から遠ざかる考えで、先づ一点右転し、同船白燈の動静を監視したら、その方位に余り変化がなかつたので、此のときも、そのまゝ前進してよかつたが、更に一点、続いて一点と右転して、長運丸を廻避し万全を期したのに拘らず、同船の見張りが不充分なため、南進丸より一分遅れ、つまり衝突三十秒前に漸く南進丸を発見した。しかも急迫の事態を見て、周章狼狽の余り臨機応変の処置を誤つて右舵航行すべきものを左転したことから、衝突するようになつたのである。吉野谷船長が遠藤船長と同一程度で前方見張りの注意義務を尽し、南進丸が長運丸の白灯を発見した時、後者も前者の白灯を発見していて、互に警戒しながら右舵航行すれば両船は無難に通航できた筈であるから、その非は一に吉野谷船長にあつたといわなければならない。

三、仮りに遠藤船長にも過失があつて、被告に幾何かの損害賠償義務があるとしても、本件衝突の結果、被告は、(イ)当時南進丸に生鰊一万六千八百五十貫を積載輸送中でこれを青森市石川礼吉商店に対し、一貫当り金百七十円の合計金二百八十六万四千五百円で売渡す予定のところ、衝突による侵水と、破損した南進丸の修理及び長運丸船員の救助等に日時を空費し、予定日を二日遅延して目的地の青森港に到着したことのため生鰊の品質、鮮度が甚だしく低下し、内二千四百貫は肥料鰊として一貫当り金三十五円の、残量は同金百十円の割合による合計金百六十七万三千五百円で売却するの已むなきに至つたから、結局その差額金百十九万千円の損害を受け、(ロ)衝突のため南進丸の左舷舷墻に受けた損傷の修理に金三万五千百円を費したので、右(イ)、(ロ)合計金百二十二万六千百円の損害を受けたから、被告のこの損害額を斟酌して賠償額を決定すべきものである。

四、南進丸が時化を避けるため岩内港に碇泊し、従つて鰊の鮮度低下による損害は不可抗力に因るとの原告の主張は否認する。

第四、証拠<省略>

理由

一、昭和二十七年四月十三日午前二時、北海道積丹郡余別村神威岬燈台を離る南四十四度西約九海里の地点で、原告所有長運丸と被告所有南進丸とが衝突し、そのため長運丸が沈没したこと、長運丸は乙種二等航海士吉野谷正徳が船長として乗船し、同月十日夜新潟県新潟港を発航、北海道留萌港に向い時速約八海里の航力で航走中、同月十三日午前一時五十五分冲少し冲出しするつもりで北々東に転針したが、同一時五十九分三十秒頃、突然正船首前方約百米の地点に南進丸のぼんやりした白灯一個を認め、同船との衝突を避けるため、直ちに左舵一杯に取ると同時に機関を停止したがその効なく、同船右舷船首が南進丸の船首から約七米の左舷側外板に後方より約四点の角度で衝突したこと。南進丸は丙種航海士遠藤松治を船長とし同月十二日未明北海道鴛泊港を青森県青森港に向つて発航、翌十三日午前零時四十分頃神威岬を通過したものと推定し、針路を南西微南に定め、時速約六・六海里の航力で航走中同一時五十八分三十秒頃、突然左舷約三百米の地点に長運丸の白灯一個を発見し、これを避航するため船首を除々右に転しながら進行しているうち、同一時五十九分三十秒頃約西南西に向首したとき、左舷船首約四点半の至近距離に長運丸の緑燈を認め、直ちに右舷一杯と全速力後退の措置を取つたが、その方位に殆んど変化なく、急速に接近し船首が西方に向つた際に前記のとおり衝突したこと。当時海上は降霧のため展望が妨げられていたが長運丸は信号器の故障を修理しないまゝ発航した為め、霧中信号を鳴らさず航行したことは当事者間に争がない。

二、成立に争いのない甲第一号証の記載、証人吉野谷正徳(認定に反する部分を除く)、小野寺道敏(第一、二回)、渡辺助男(第一、二回)の各証言を綜合すると、長運丸は吉野谷船長が海図室におり、甲板長小刀根信夫が操舵しながら航行中、一時五十九分三十秒頃右小刀根甲板長の「船だ」という知らせを受け、吉野谷船長が進路を注視したら既に対手船が至近距離にいたので、その方位や船体を確認する余裕なく、突嗟に同甲板長に方位転換を命ずると共に機関の停止及び後退の合図をしたが間に合はず、同時に衝突したこと。長運丸には専属の見張員をつけていなかつたこと。南進丸は零時四十分頃神威岬を通航したものと推定し、針路を南西から南西微南にかへ、遠藤船長は甲板員齊藤彌惣吉に舵を委ねたまゝ船橋内のストーブを囲み甲板長田村某と雑談中一時五十八分三十秒頃突然齊藤甲板員から灯火が見えるという報告を受け、前方を注視したら左舷船首約三百米の地点に長運丸の白灯一個を認めたこと。その際対手船の方位、船体等を確認できなかつたが容易に通航できるものと考え、減速等の措置を取らず徐々に右転しながら進行したこと。南進丸は信号器の故障を修理しないで発航した為め当時霧中信号を鳴らさず航行していたが、長運丸を発見しても適宜の方法で音響を発したり、その他の手段で同船に対し自船の航行していることを警告しなかつたこと。当時天候は霧で殆んど風がなく潮候は漲潮の中央期で南西のうねりがあり視界は五百米から千米であつたことを、それぞれ認めることができる。証人遠藤松治、田村稔、小刀根信夫、吉野谷正徳の証言中右認定に反する部分は信用しない。

三、およそ船舶の運航に当つては、海上衝突予防法を遵守しその船長において自ら又は乗組員を指揮監督して他船と接触衝突することのないよう常に進路を警戒すべく、特に霧中その他によつて見透しが困難な場合は一層見張りを厳重にし、成規の信号を鳴らして他船に対し自船の航行中であることを警告すると共に適度の速力で航行すべきこと当然の措置といわなければならない。又いやしくも他船の近づくのを認めたときは更に警笛等によつて十分警告を与へ、機に応じ針路転換、進航停止、後退等の手段を取り、且つ方位転換等をするときは同法所定の警笛等によつて他船に対し自船の行動を通告し、以て事故の発生を未然に防止すべきことも亦自明の数である。今これを本件について見るに、長運丸は信号器の修理を怠つて発航したことから霧中信号を鳴らさず航行した過失がある。このように成規の霧中信号を鳴らし得ない場合はそれだけに一層見張りを厳重にすべく、若しこの注意に欠くるところがなければ当時視界が五百米ないし千米であつたから少なくとも南進丸との距離五百米に接近したとき同船を発見できた筈である。しかるに吉野谷船長が狼狽の余り対手船の方位、船体等を確認する余裕がない程接近するまで発見できなかつたのは怠慢も甚だしい。又当時長運丸の時速八海里というのは霧中航行の速度として不適当であつたといわなければならない。これを要するに長運丸吉野谷船長に右のような船舶運航行上の過失があつたことから本件衝突事故を引き起したこと明らかである。しかし他方南進丸について見るに、同船も信号器の修理を怠つて発航し、従つて霧中信号を鳴らさずに航行したこと。前記同一理由で少なくとも長運丸との距離五百米に接近したとき同船を発見すべきであつたのに約三百米の地点で初めて発見したのは、これまた見張りが不充分であつたといわなければならない。更に右初認のとき長運丸の進行方位等確認できなかつたばかりか、両船共成規の霧中信号を鳴らしていないから、かように両者の航法に反則がある場合には果して長運丸が自船を発見し、適切な措置を取つているかどうか不明という外なく、従つて何時どんな行動に出てくるか予測できないから、直ちに機関停止、全速力後退の措置を取るか又はできるだけ減速(少なくとも長運丸発見後の時速が六・六海里であつたのは不適当であること言うまでもない)して転進する等臨機の措置を構ずるは勿論、たとへ信号器の故障で成規の霧中信号及び自船の行動についての通告をなし得ないとしても、それは、いはば自己の過失が招いだものであるから、これに代る適宜の方法で音響を発するか、発火等の手段によつて警告すべき義務があるというべきである。それをたやすく通航できるものと考え、単に右転しただけで前記の必要な措置を取らなかつたのは軽卒のそしりを免れない。すなわち南進丸遠藤船長の以上の過失もまた本件衝突の一因をなしていること明らかである。被告は、南進丸は衝突直前信号器に故障を生じたこと、前路の見張りが十分であつたこと、南進丸の速度が適当であつたこと等を主張するけれども前記説示に照らし理由のないことが明らかであろう。次に被告は、南進丸が長運丸の白灯を発見したときの関係は、海上衝突予防法第十九条の適用により前者が権利船、後者が義務船の地位にあつたから、長運丸は南進丸の進路を避けなければならなかつたと主張するが南進丸が長運丸の白灯を発見したときの初認距離は僅か三百米で、その際長運丸の進行方位は勿論船舶の種類等不明であつたから、更にこれ等を確認しようとしている間に、両船の距離が急速に短縮されることを考えると本件の場合において同条を適用することは妥当でない。更に被告は南進丸が長運丸を発見した頃後者も前者を発見し、互に警戒しながら右舵航行すれば両船は無難に通航できたのに長運丸吉野谷船長の発見が遅れ、而も左転した為め衝突したのであるから南進丸遠藤船長に過失がないと主張するけれども、本件衝突は長運丸、南進丸両船長の数個の過失が競合して発生したこと前段説示のとおりであるから、仮りに南進丸が長運丸を発見したとき後者が前者を発見したとしても、その余の過失がある以上衝突が避けられたと俄かに断じ難い。又長運丸が左転したことは妥当でないとしても、その一事を促えて本件衝突の原因がそれのみにあると認めることもできない。被告の各主張はいずれも失当である。以上のとおり本件衝突は長運丸、南進丸両船長の共同過失に基いて発生したのであるがその責任の割合は前記諸般の事情を斟酌して長運丸六、南進丸四と認める。

四、進んで本件衝突による原、被告の損害を研討する。

(一)  先づ原告の損害を見るに、(イ)本件衝突によつて長運丸が沈没したこと当事者間に争いなく、証人木戸浦相三、岸田祖伝の各証言、原告本人(第一回)尋問の結果を綜合すると、沈没当時の同船は少なくとも金二百五十八万円の価格を有していたことが認められる。証人滝沢英三、吉野谷正徳の証言は信用しない。(ロ)原告本人(第二回)尋問の結果真正に成立したと認められる甲第三号証の記載、証人小刀根信夫、吉野谷正徳の証言及び原告本人(第一、二回)尋問の結果を綜合すると、当時長運丸に魚塩蔵用塩二百三十二俵金十六万二千八百六十四円相当、重油三千リツトル金五万三千百円相当、マシン油二百リツトル金九千六百二十円相当、空箱六百箱金三万千八百円相当を積載していたところ同船沈没のとき全部流失した事実が認められる。(ハ)証人中田門次郎(第一回)の証言によつて真正に成立したと認められる甲第二号証、証人中田門次郎(第一回)、吉野谷正徳(但し捜索費用の数額の点は信用しない)の証言、原告本人(第一回)尋問の結果を綜合すると、原告は衝突当日岩内郡岩内町中田門次郎に依頼し長運丸を捜索させた費用として金二万千円を支払つた事実が認められる。従つて原告は右(イ)、(ロ)、(ハ)の合計金二百八十五万八千三百八十四円の損害を蒙つたものといわなければならない。

(二)  次に被告の損害を見るに、(イ)甲第一号証、弁論の全趣旨によつて真正に成立したと認められる乙第一号証、証人遠藤松治の証言の一部を綜合すると、南進丸は衝突の結果左舷船首から七米後方附近の船鍔を擦過傷し、同材固着用径十六耗ボールトの外端が曲り、舷墻が長さ一米五十糎程度内方に倒壊した外、水線上の外板に傷跡を受け、これらの修理に金三万五千百円を支出した事実が認められる。証人遠藤松治の証言中修理に金七万円支出したとの点は信用しない。(ロ)南進丸に生鰊一万六千八百五十貫を積載していたことは当事者間に争いなく、証人遠藤松治、越前屋章三の証言を綜合すると、この生鰊は青森港に陸揚の上同市株式会社石川商店に販売を委託するため輸送中であつたこと。本件事故がなければ同月十四日午前零時頃まで青森港に到着し、当日の青森市における生鰊の相場一貫当り金百七十円の割合による合計金二百八十六万四千五百円で販売できたこと。しかるに本件事故のため南進丸は長運丸船員に救助して岩内港に寄港し、翌日出発したことから同月十五日夜青森港に到着したことや、衝突の際生鰊の一部に侵水を受けたこと等によつてその鮮度が低下し、内一万二千八百八十五貫は食用向として一貫当り金百十円の、内二千四百貫は魚粕用として同金三十五円の割合による合計金百五十万千三百五十円で販売したことが認められる。残余の千五百六十五貫については実際に販売した価格の立証がないけれども鮮度が低下したこと前認定のとおりであるから特別な事情がない限り少なくとも前記食用向けの単価金百十円の割合による金十七万二千百五十円以上の価格がなかつたと認めねばならない。結局生鰊を合計金百六十七万三千五百円で処分したことになるから本件衝突がなければ販売できた価格との差額金百十九万千円の得べかりし利益を喪失したといわなければならない。原告は、南進丸は時化を待避するため岩内港に碇泊した結果、生鰊の鮮度が低下したのであるから仮りに損害があつても、それは不可抗力に基くものとして被告が負担すべきであると抗争する。証人中田門次郎(第二回)、石川藤五郎の証言によると、南進丸が岩内港に寄港したところ当日岩内港附近に時化のあつたため約一昼夜停泊したと、従つて南進丸の青森到着がそれだけおくれたことは明らかである。しかし、南進丸が岩内港に寄港したのは、本件の船舶衝突の結果沈没した長運丸の船体及その船員を救助するためであつたことは証人遠藤松治の証言によつて明かであり、衝突がなかつたなら岩内港に寄港することなく、青森港に直航した筈である。而して衝突地点から青森港までの海上区域に時化があつたと認むべき証拠はないから、南進丸の青森港到着がおくれて、鰊の鮮度が低下したことは本件の船舶の衝突がその原因であると言わねばならない。侵水の為に鮮度が低下したのは衝突が原因であることは言うまでもない。故に原告の抗弁を採用することはできない。そうすると被告は前記(イ)、(ロ)の合計金百二十二万六千百円の損害を受けたことが明らかである。

五、ところで船舶の海上衝突による損害は、各船長の過失に基く限りその損害を共同不法行為による一個の損害と認め、両者の過失の程度に応じて各船舶所有者が分担するのを相当と解する。本件衝突は長運丸、南進丸両船長の共同過失によるものでその責任の割合は前者が六、後者が四であること既に認定したところ、衝突による損害は原告金二百八十五万八千三百八十四円、被告金百二十二万六千百円の合計金四百八万四千四百八十四円であるから、原告はその十分の六である金二百四十五万六百九十円四十銭を、被告は十分の四である百六十三万三千七百九十三円六十銭を負担すべきものである。従つて原告は自己の損害額たる金二百八十五万八千三百八十四円と右の負担額金二百四十五万六百九十円四十銭との差額、他方から見れば、被告の右負担額金百六十三万三千七百九十三円六十銭と被告の損害額金百二十二万六千百円との差額である金四十万七千六百九十三円六十銭について被告に対し賠償請求権を有しているということができる。

してみれば原告の本訴請求は右金員の支払を求める限度で正当として認容すべきである。その余は失当として棄却を免れない。よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十二条本文を、仮執行の宣言につき同法第百九十六条第一項を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 熊谷直之助 牧野進 太田実)

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